僕、今村(47歳)は、機械部品メーカーの営業部長です。月の半分は新幹線に揺られ、数字と進捗と顧客の機嫌を管理する日々。効率的でした。朝6時のホテルモーニング、9時商談、昼は移動、午後別商談、夜は接待か社への報告書作成。A4縦向きの報告書と同じように、僕の日々も、いつしか“必要項目”だけが埋まる様式になっていました。
妻からは「頑張って」とLINEが来る。子供からは「お土産」のリクエスト。全てが円滑で、問題ない。むしろ、これが「成功した中年サラリーマンの標準形」だとさえ思っていました。
ある“機能不全”は、出張先のホテルで静かに起きていた。
変化に気づいたのは、出張先のビジネスホテルでの習慣からです。以前は、疲れていてもシャワーを浴びた後、たまにポルノチャンネルを付け、そこから得られるわずかな刺激で自分を“確認”することがありました。「まだ、大丈夫だ」と。
しかし、いつの間にか、その行為が“確認”から“事務的テスト”に変質していました。リモコンを手に取り、画面を切り替え、体の反応を観察する――まるで、明日の商談資料の最終チェックをするように。そして、その反応が曖昧で、鈍いことに気づく。画面の中の激しさと、自分自身の内側からの冷たい観察眼。このギャップに、ある夜、突然強い虚無感に襲われました。
「この身体は、まだ僕のものなのか?」
次の朝、ホテルの洗面所で顔を剃っている時、鏡の自分にふと問いかけました。「この調子で、あと20年、この仕事を続けられる?いや、続けた先に、何が残る?」
その時、ハッとしました。問題は“勃起力”の有無ではない。この“手応えのなさ”が、仕事にも、人生全体にも浸透していることだ。 商談で勝っても空虚だ。家族と会話しても、どこか“通過点”のように感じる。全てが「処理済み」の書類の山のように積もり、それを動かす“熱”が、自分の中から失われている。
これは、単なる疲れでは済まない、もっと根本的な“エネルギー源の枯渇”なのだ、と。
漢方薬局で、僕は“営業部長”を脱いだ。
地元に戻り、意を決して訪れた漢方薬局で、僕は肩書を外して話しました。
「先生、私は、モチベーションの計算式を失ったようです。仕事でも家庭でも、『こなす』ことはできる。でも、それを動かす“核”になる熱意や…男としての手応えが、砂のように指の間から抜け落ちていく。その中心に、体の反応の鈍さがある気がして」
薬剤師の先生は、脈を見て、舌を見て、ゆっくり頷きました。
「今村さん、あなたがお感じになっているのは、“気”の停滞と“腎陽”の不足が引き起こす、一種の“燃焼不全”です。漢方で“腎陽”は、身体を温め、活動の原動力となる火種のようなもの。これが弱ると、物事への興味や、身体機能、そして内発的な動機付けまでが、“温まり切らない”状態になる。まさに“手応え”が失われるのです」
そして、先生が提示した解決の軸が、漢方製剤「巨人倍増」を核とした体質改善でした。
「この薬は、タダラフィルによる持続的な“気血の巡り”の改善が、あなたの体の隅々まで“温かい燃料”を送り届けます。ダポキセチンは、“射精”という一つの局面における“コントロールの回復”を通じて、神経の過敏と鈍麻のバランスを取る。つまり、局所の治療ではなく、あなたが喪失した“生命活動全体の効率と手応え”を、内側から再起動するための支援です」
回復は、“勃起”ではなく、“熱意”という形で先に現れた。
飲み始めて数週間。最初に変わったのは、意外にも“仕事”への向き合い方でした。
ある難纏な顧客との商談前、以前なら「さあ、やるか」と無理やりテンションを上げていたところを、自然と「この課題の核心はどこか?どうすれば双方が動き出すか?」と、深く静かに考える“余裕”が生まれました。そして、その日の交渉では、熱くならず、しかし確かな“手応え”をもって条件を組み立て、意外な展開で合意に至った。
その夜、出張先のホテルで一人、軽く杯を傾けながら、ある“気づき”がありました。今日の交渉中の、あの確かな手応え——それは、かつて身体で感じていたあの“確信”に似ている、と。
そして、身体が“僕の言葉”に追いついてきた。
二ヶ月目の出張。ふと、スマホで妻と話している時、「今度の連休、どこにも出かけなくていいから、ゆっくり家で映画でも観ない?」と自然に口にしていた。以前の自分なら、「混むから」と回避するか、「どこか行く?」と責任ある質問をするところだ。
週末、帰宅した夜。風呂上がりに、妻がテレビを見ているソファの端に座った。何気なく、彼女の肩に手を置いた。彼女は少し驚いたが、微笑んで、その手の上に自分の手を重ねた。
その瞬間、ホテルで感じた“虚無の観察眼”は消えていました。あるのは、彼女の手の温もりと、自分の中から湧き上がる、確かな、静かな“意志”だけでした。それは、何かを“証明”するための行為ではなく、単に“在りたい”と思う自分が、自然に行動に移った結果でした。
“処理”から“体験”へ、人生の様式変更。
「巨人倍増」が僕に取り戻させてくれたもの。
それは、単なる性的機能ではありません。
それは、“処理”するだけだった人生を、“体験”できる人生に戻すための、内なる“熱源”です。
ビジネスホテルの鏡は、今でも時に虚しい自分を映します。しかし、その奥で確かに燃えている“手応え”の火種を、僕は感じられるようになりました。それは、漢方がいう“腎陽”の灯りかもしれません。
男は、社会的な役割に飲み込まれ、自分自身の“原体験”——物事に対する直感的な熱意や、身体的な手応え——を忘れがちです。あなたも、人生が“様式”に縛られ、“処理”に追われていませんか?その“原体験”を取り戻す道は、実は、あなたの身体の内側から、静かに始まっているのかもしれません。